寝れないので、ブログにお世話になる事にしました。
ここ数回、人と人のコミュニケーションを考えさせられることがあり…。
今日の出来事で、また悩むというか、考えることがてんこ盛り。
まず、今日の出来事。
仕事(障がい者の外出支援)の付き添いで電車に乗っていた。
空いている車両の真ん中くらいの長椅子にメンバーと一緒に座っていた。
ある駅から、クラブ活動の女子中学生(?)がたくさん乗ってきた。
右に左に固まって座り出し。(なんのクラブかな?試合でもあるんだろうな)
楽しそうにしてるかと思いきや、少し離れたところで、立っている女の子が苦しそうな声をあげだした。
その子を囲むように4人ほど立っていた。
傍に座っている数人も仲間の様。
過呼吸?
ヒーヒーと言う声が少し高くなってきた。
心配と思い見たが、あれだけ仲間がいてたら大丈夫か?
近くに乗客もいるし。
いや、でも中学生以外の大人は誰一人近寄っていない。
私の隣でも(仕事仲間のSさん)「過呼吸やな」と言うだけで、なんだか落ち着いて分析。
え?誰もいかんねんや。
とりあえず、荷物を置いて、近づいてみた。
その子が息がしにくくパニックになって、友達も抱きつかれてどうしていいか分からない様子。
私は過呼吸は経験がないけれど、頑張って息をしているその子を抱く様な感じで「大丈夫? 大丈夫。大丈夫。大丈夫。・・・」と言いながら、一緒に座りこませ、背中をさすった。
そして、友達に「今までこんなことあったの?初めて?」と聞き「初めてです」と答えていた。
本人にも「こんなことよくあるの?」と聞くと。小刻みの息を続けながら首を振る。
私:「そっか。びっくりするよね。コントロールできなくなるよな。大丈夫やで。」と背中をさする。
横で友達が「深呼吸!深呼吸!深呼吸!」と少し叫ぶ感じで言う。「座る?座った方がいいで」とか。「降りよ!次降りよ!」と。
→ 私的には、少し落ち着くまでまってよ~って感じだったけど。知らんおばちゃんが来て的確なアドバイスも出来るわけでもないので、私自身どっちが良いのか少し焦る。
私:さすりながら本人に「お友達が降りよって言ってるけど」と伝えると。
首を振って「○○駅」と目的の駅をやっとのことで伝える。
大丈夫?と聞いて、うなずくので、周りに促され座席に何とか座る。
まだ、息は少しヒーヒーとなりながらも、さっきよりは落ち着いて、座って下を向いているので、私が居てる意味がないかな?と。
さほど、確認もせず、お友達も沢山いてるので、ささーと離れ、元の位置へ。
戻ると、ヘルパー仲間のSさんが「過呼吸、私も良くあるんで。」と。
私:心の中(え?経験者なんやったら近づいて何か言ってくれても良かったけど~)
Sさん「落ち着いたら水飲んで○○して、(あーだこーだ)、過呼吸に引きずられてしんどくなる子も出たりするんですよ」
私:「行って伝えてあげる?」と言ったのだけど、Sさんは本気にしてなくて。スルー。
でも、このSさん、私が居なかったら自分が行ってましたね。と言う。
ん?ん?別に一人限定じゃないので一緒に来てくれても全然良かったんですけど~
5分程して、その中学生の子はまだしんどそうにしながらも、数人に支えられながら、目的の駅で降りて行った。
ぞろぞろと仲間が降りていき、数人が私に頭を下げながら降りて行ったので、とりあえずそれに答える意味で手を振ったのだけれど。
別のもう一人が、泣きながら降りて行った子が居てた。
(Sさん曰く、それが引きずられた状況との事)
その駅でドアが閉まってから、何か私の中でもやもやが…。
私…手を振って見送ってる場合やったのか?
もっと出来ることはあったのに。
相手は体は大きくても子供の集団。
私自身せっかく行動を起こしたというのに、発作を起こした子が本当に落ち着いていたのか?
周りのお友達も不安だったろうに。ちゃんとした声掛けが出来てなかった。
駅を降りてから、誰を頼ったらいいか。どうしたらいいか?
もし、動けなくなったら駅員さんを頼るとか、駅長室とかに休めるとこもあるとか、誰かクラブの先生とかに連絡できてるのか?とか。
Sさんの言うように、まず水分を取ることが必要だとか。
色々伝えてあげたかった。
中途半端に関わっただけの自分。が情けないのと、
どうして、電車の中と言う目の届く範囲の中で子供が発作を起こしても、直ぐに行動を起こす人が居ないのだろう。
私はお節介すぎることも多い。
でも、私くらいのお節介じゃないと、こんなにも動けないものなのだろうか。
きっと動きたくないのではなく、動くタイミングが分からないだけなんだとは思うし、実際私も普段はそうだけど。
今回はさすがに違うやろ。
実は、数日前に
電車の窓ガラスが割れる事故があったのですよ。
私の座ってる斜め後ろ。(急行だった。投石の可能性あり)
突然割れて私は席を立って、でも、その窓近くにの席に座ってる人が立たなくて。
周りも何も言わなくて、私が「危ないですよ」って声をかけた。(なんだかめんどくさそうに立ってたけど)
斜め前に座っていた4人組の大学生風の男子のうち二人が無言で歩き出すので、??車掌さん呼びに行ってくれたのか?
→ 結果呼びに行ってくれたんだけど。(ここもなぜ無言?と思う私)
周りも若い子は友達同士で「やばいやばい」の連発で。
私(だけ)は危機感を持って隣の車両に移ったのだけど、みんな気になってるんだけど、目を合わさないし、私から説明するような雰囲気でもなく(若い子ばかりで)
で、さっきの大学生風の子たちが車掌さん連れて戻ってきたので、私は感動して
「呼びに行ってくれたんやね、ありがとございます!」と話しかけたら
とても良い笑顔で「いえいえ、お怪我は無かったですか?」と。
たった一言でこういうコミュニケーションになるのに。
でも、娘(24歳)とかに聞くと、「そんなん他人に話しかけられるなんか普通ありえへんで~」って感じだし。実際どうも、それが、今の常識になってるようだし。
何かあった時の情報交換と言うか、助け合いと言うか。無くなっているの??
もちろん私も躊躇する日常だけど。ほんとに大事な時もこんな感じなんだと。実感。
何かが間違ってる気がする。間違ってる…?違うか。ずれてる?う~ん。
色んな事件の影響で、子供の時から「知らない人には…」と言う教育が当たり前になってる結果がこうなってるのかな。
でも、子供が困ってる時は近くの他人が、近くの大人が、手を差し伸べないと~。
困った人を無視をするのが正しいと思っちゃうよ~(-_-;)
少し気持ちをぶつけられて、軽くなりました。お節介おばちゃんは正しいと思いたい。
とりあえず、今晩はこれで寝れそうです。