息を引き取ったのは 4月17日
式場は決めかけていて、逝去後に 姉がホールに電話を入れた。
受け入れOKとの事で、葬儀場の方二人がすぐに母を運んで行った。
後で聞くと、同じ地域でも、今年の正月明けに 親戚が無くなって
葬儀場が決まらず、3週間待ちだったとか。え??ほんと?
と思ったが、ホントらしい。
今回はそんな事は無かったけれど、
木曜日に葬儀場に行って、告別式が 4/20㈰となったのは
火葬場待ちだった。
なんか・・・
いろいろ、混んでいることが分かった。
姉がお金のことを管理してくれていて、葬儀場とも交渉してくれた。
生前母は、お金にうるさいというか、大事にしていて、
無駄遣いをすることなく、貯めていた。
それだけあるんなら、自分の為に使えばいいのにと思っていたが
スーパーでも、少しでも安いものを選んで、
贅沢は敵だ! と言わんばかりの生活だった。
その中から、生前贈与で 分けてくれたり、葬儀費用として
300万円はよけてくれていた。
実家の家賃はいらないので、年金の中から、
介護する私達(姉と私)に理由をつけては、お小遣いをくれた。
施設に入ってからは 小銭も持たしてくれない生活が、
おばあには苦痛だっただろうな・・・。
4カ月の期間で 瘦せていき、逝ってしまった。
ちなみに葬儀場代は 118万円かかったようだ。
(姉は その半分くらいで 考えていた)
息を引き取った時に、身内が居なかったので、対応の人が
気を利かせて、入れ歯をはめてくれていた。
普段…ほとんど入れ歯をしていない おばあの口元が…。
本来 無いはずの歯が むき出しになっていて、少し怖かった。
怖いというか…。
だれ?これ。という感じで、別人を見てる感じだった。
直ぐに外せないという事で、しばらくそのままになった。
でも、おばあなのです。
葬儀場では ワンフロアをゆったり使用させてくれた。
4つの部屋があり
奥の6畳ほどの部屋に母が横になっていて、
隣に4畳半ほどの畳。
真ん中に 食事が出来る場、台所とテーブルがあり、その続きで
家族葬の告別式を行えるスペースがある。
前日に お花が飾られ、結構豪華な葬儀場に変身した。
トイレ、お風呂もあり、自由に お泊りが出来た。
必要なら寝具セットを有料でレンタルもあるんだけど、
実家が近かったので、車で数セットの布団を運んで
1日目の夜 → 私と姉(2人)
2日目の夜 → 兄と姉の旦那さんと姉の次男(3人)
3日目の夜 → 姉(1人)
が泊った。
葬儀費用が思ったより高かったけれど、
自由にお泊りが出来たのはありがたかった。
ホントは、私の次女も泊りたがっていたし、3日目の姉が一人の時は、
私も一緒に泊まりたかった。
上記の人数に いつもおばあが居てた。
1日目は
私と姉とおばあと…。
いろいろ話をした。
何度も何度も 涙したけれど、姉も私もいろんな話をした。
姉が こんな機会があり 喜んでいた。私も寂しかったけど嬉しかった。
2日目は
酒のみの 3人組が、夕食に知り合いのお店に行ったり、その後
他の店に行って、酔っぱらって、おばあのもとに帰宅し
おばあを囲んで 飲みなおしていた、
おばあにとっては、手のかかった息子と、頼りになる娘婿と、世話になった孫。
嬉しかったと思う。
3日目は
私も泊まりたかったが、昼にもっさんをホームに迎えに行った
もっさんにはこの時、おばあの死を始めて知らせて、葬儀場に駆けつけた。
理解していた。 ちゃんと 挨拶とお線香をあげることが出来た。
私としては、そのまま 一人残る姉と一緒に 泊まりたかったが、
もっさんは拒否した(当たり前か…)
前日にでも一度来て居たら、泊まれそうな雰囲気だったけど、
この日はやはり無理だった。
姉には申し訳なかったけれど、一人で…
おばあと、二人の夜を過ごしてもらった。
そして、次の日は 告【( ;∀;)
この日に、おばあは 居なくなってしまう。
姿かたちが 無くなってしまうというのは こんなにも辛いもの…。
死んでいても もう少し…もう少し と思ってしまうものだと 知った。
でも、おばあの顔は 悲しそうではない。(死んでいるからだけど)
ふと、順番を守れたことに ホット安堵の気持ちが私にあった。
もし、おばあが この歳で誰かを見送らないといけない時…。
もし、私や姉が介護で疲れて倒れたりしたら…
もし、62歳の兄が 倒れたら…。
おばあはどんなに悲しむだろう。
おばあの泣く顔は 決して見たくないと思った。
私や姉が泣いているのは、自然な事だ。
順番を守れて 良かったと つくづく思った。