もっさん(娘29歳精神&知的障害あり、グループホーム利用、土日月帰宅)とおばあ(昨年9月より一人暮らしの母93歳体形超太車椅子利用)のダブル介護奮闘中。私50代。シングルになって4年、ビール好きのガス抜きブログです。(現在週半分一人暮らし状態)

もっさんの様子

亡くなったおばあとは、8年程同居した。

私は 元旦那さんと離婚して実家に戻らせてもらった。

 

私が長女(もっさん)と次女を連れて3人で、おばあの住んでいる実家の2階で。

 

もっさんは重度の知的障害があり、小さい時からそれなりの苦労があった。

もっさんの父親は 本人なりに精一杯協力してくれていたとは思うけれど

私との考えの違いや、ズレが大きくなり、私は苦痛になった。

もっさんに対してスパルタにすることが、良いとは思えなかった。

私もストレスで気が狂いそうになっていたし、もっさんも荒れだした。

 

そんな時に、おばあは 受け入れてくれた。

 

次女は3年程の同居後 大学卒業して 一人暮らしをしたので実家を出た。

 

私ともっさんはその後も、5年程おばあと一緒に暮らし

おばあは 徐々に、介護生活となった。

おばあはいつも明るく豪快な 母だったけど

もっさんが、やはり 馴染めず、私もしんどくなったのもあった

将来的な事も考えて その頃に もっさんは グループホームに入ってもらった。

 

週末は帰宅する。

 

帰宅した時に、出来るだけ、もっさんの居心地の良いようにと思っていたが、

おばあともっさんに 私は振り回され、結局 もっさんにとっては

良い環境ではなかったのだと思う。

 

あの期間は、なんだったんだろう。

 

私が良いと思ってしていたことが…。結果どうだったのか?

今となっては 分からない。

でも、私なりに、その都度、最善を尽くしているつもりではあった。

 

でも、もっさんと おばあの壁が出来てしまった。

 

2年ほど前から もっさんが荒れに荒れて、

その後 同居が無理になり 私はもっさんを連れて 今の家に引っ越しをし

介護が必要な おばあは、 一人暮らしになった。

ヘルパーさんや 姉 私も含めて みんなで協力して

おばあの生活を守っていた。

でも、それも限界で 施設への入所を勧めて 姉の近くの施設へ。

(そして、4カ月で 息を引き取ることになった。)

 

もっさんは、ほとんど おばあと会わなくなった。

 

独り暮らしをしている間も、年に2度くらいかな?

 

施設に入った時は、最初の一回だけ。

 

私が面会に行く時も行かないと言い続けていた。

 

しかし、おばあの状態が悪く、話が出来なくなってから

 

もっさんに状況を説明すると、自分から行くと言った。

 

施設の部屋に着くと

おばあの顔を見て、自分から 「挨拶しないと・・・」

 

とおばあに寄って行っていた。

 

その後、10日ほどで息を引き取った。

 

おばあの死の事は もっさんには、告別式の前日に伝えた。

ホームから帰宅する日は予定通りにしたかった。

 

理解してくれていた。

葬儀場について おばあのそばに行って、お線香も上げることが出来て、

告別式もみんなと一緒に見送ることが出来た。

私が泣くと、慰めてくれた。

 

ただ、火葬場で、崩れた。

 

一人泣き出し、嗚咽になり、立っていられなくなり、

椅子に座って、落ち着くまで待っていた。

 

あふれる思いが出てきたのだと思う。

 

おばあは、もっさんをとてもかわいがって、心配してくれていた。

 

もっさんも、おばあの事が好き。

 

でも、おばあの大きな声と、しんどそうな咳と怒ったような口調が苦手だった。

 

まぁそれだけでもないだろうけど。

 

でも、いつも大笑いしてる お婆ちゃんの事は 大好きだった。

 

私が面会に行くと言ったら、いつも

 

もっさん:「お婆ちゃんに、飴どうぞ。おばあちゃん飴 好きやからな~」

 

と言って、いつも、袋に入れてことづけてくれて、それを

 

おばあはいつも、喜んで その場で 口に入れてくれ!と言って食べていた。

 

最後は2回ほど、食べれなかった・・・。😢

 

もっさんの事を 身近で見てくれていて

 

一番の理解者は おばあだった。

 

居なくなってしまった。

 

まぁ、私が余り不安になると、おばあも 心配だろうから

 

そこそこに 頑張って やって行こう。

 

もっさんお力を信じるしかないな。

 

今回の事で、少し成長したもっさんを

 

おばあも、見守ってやってくださいな。