母が亡くなったのは 今年の4月17日。
はー(;'∀') もう、5カ月がたつのか…。 いや、5カ月しかたっていないのか…。
母が居ない生活が当たり前にはなっている。
自分の時間も誰に気兼ねなく 外出もできるし、帰る時間も気にしなくて良い。
母との同居は8年程。
最初の頃は自分で外出していた母。
体重は85㌔越え 既に足腰が悪かったので、外出していても心配だった。
何時に行くのか?何時に帰ってくるのか?
帰宅後の様子は?
今考えたら、あの頃は さほど心配することはなかったように思う。
そのうち、一人で外出できなくなって、車いすを使用するようになって
外出(スーパーへの買物)が好きな母だったし私が一緒じゃないと
行けないので、私は仕事をしながら、母の外出も段取りして、
食事の事も考えて。
亡くなるその日まで(きっと)頭はしっかりしていた人だった。
いつも ご飯とかは自分で調節して食べていたのだけど、
体重の事があり、いちいち気になって、干渉して、管理してるつもりの私だったな。
そしてだんだん、自分で食べると言っても、手先が動きにくくなって、
細かい事が出来なくなっていったし、
食べた後のテーブルの上や足元は散らかっているし、
食べられるものを食べやすいように 事前に用意したり、
食事の後は、片づけたり、次の準備をしたり。
母も自分で出来る事は、ほんと、出来る限り頑張っていたけれど…。
うん。
ホントに頑張っていたな~。
「なにくそ!」と自分の老いていく体と闘っていた。
そして、迷惑を掛けないわけにはいかない私の行動に
いつも「ありがとう、すまんな」と言いつつ、笑いは忘れなかった母。
どうして、あんなにいつも笑っていられたのだろう。
(私は それにムカついて怒っていたけど)
でも、楽しそうだったし、今思えば 私も楽しかったな~。
一緒に買い物に行って、小言言いながら、お互い好きなものを買って
自宅に戻ったら、買ったもののお披露目会になって、 食べたいものを早速食べながら
何が安かったか?お得な買い物の品評会。
どこのスーパーが良いか、やっぱりあそこは良いとか悪いとか。
超特価になっていた ”リポビタンD”を 3箱買って帰ったこともあった。(30本)
歩いても5分くらいのスギ薬局。
車椅子で行ってる状態で3箱買う必要なんて全くないのに。
私が、自転車でまた来るわ と言っても
母「売り切れたらどうするんじゃ!!」と。(朝一番で行ってるのに売り切れないよ💦」
買うとなると、機嫌が良い「前は5箱買って帰ったことあるんやで!」と自慢してた。
懐かしい事を
今もふと考える。
そんな話をじっくり誰かに話したいけれど、直ぐに、話した所で・・・となる。
亡くなる寸前の、眼だけで母を感じた。
身体が動かず、すぐに寝てしまう状態でも、目で語っていた。
寸前まで 頭がしっかりしていたのが分かる。
会話力のあった母。
あの目を思い出すと、切なさと、自分も…。と怖さを感じる。
これは、ずっとこの先も消えないのかな??
その時は、こうして、ブログで吐き出して、そして薄れていくのを待とう。
薄れていくことは大事なのかな?と思うけど
消えては欲しくないし、いつまでもこうして思い出すのも大事だとも思うし。
いつまでも、母の子供である実感は持つことが出来る。
「お母ちゃん…。ほんと、色々ありがとう。」
※今度、思い出話をする時は、優しかった父親の話しもしなければ…(笑)