もっさん(娘29歳精神&知的障害あり、グループホーム利用、土日月帰宅)とおばあ(昨年9月より一人暮らしの母93歳体形超太車椅子利用)のダブル介護奮闘中。私50代。シングルになって4年、ビール好きのガス抜きブログです。(現在週半分一人暮らし状態)

パートナーとの喧嘩の愚痴

パートナーのまささんと喧嘩してます!!!!(怒)( `ー´)ノ

 

今年の1月に、パートナーが出来たと言っても…

まぁ、最初は 離婚(別居含めて10年)後初めてのお相手でしたし、
わくわくしておりましたが。

 

私、25歳で結婚して、のほほんと 過ごしていたし

 

恋愛と言うものに疎くて。

 

元の旦那とは、15歳からの関りがあり、そのまま、家族の様な…。

 

兄の様な、弟の様なという感じで 過ごしていました、

 

なので、50歳を前に離婚した時も、結構円満に別々の生活を…。と。

 

離婚の話しがはっきり決まるまでは、なんやかんやありましたが、

 

結局、”円満離婚” と言う形で、元旦那も ”卒コンやな~”と言ってくれていました、

 

今年の3月に次女の結婚式があった時も、元旦那と、お姑さんと

 

それなりに 普通にワイワイと参加しました、

 

それはいいとして。

 

男女の関係性って、そうした、家族的な受け取り方なんですよね。私的には。

 

なので、まさまさんとも、恋愛と言うか、私的には直ぐに
 ”旦那” 的な付き合いになり

 

安心できる間柄ではあるんだけど、求める事も違いがあるというか。

 

向こうは、結婚生活が短くて、男女の関係は恋愛をあこがれとしていて。

 

でも、お互いのプライベートの生活が 複雑で大変だし、歳だし、

 

私のテンションが上がらないし。

 

向こうの仕事柄と、休みはもっさんが帰宅するのと重なり

月に2回くらいしか会えず、後は、電話やライン。

 

その距離感が良いと思っていたけれど、

 

向こうの仕事の不満が多くなり、なんしか、うるさい!!!!!!

 

介護している父親の不満もスゴイ。

 

話し出すと、罵倒が止まらない。

聞くのがしんどくなって、

長話を途中で遮ると、自分の存在も否定されてように受け取って

まささん「もう自分の事は一切話しません」とか言って 拗ねているというか

 

こっちが悪者になるというか。

 

私は、めんどくさがりで、こういうめんどくさい事があれば、

 

別れたい(早っ)

 

別れたい!!! と 突発的には思うけど、

 

実際問題、一緒に居ると笑いもあり、楽しい。(かったのを思い出す)

 

会ってないから、こうなるんだとも思う。

 

でも、私は干渉されるのも嫌なので、会う機会が増えるのもめんどくさい。

 

まささんは仕事で4トントラック
長距離勤務で5日間くらいかけて、北海道を周っていたんだけど

 

その間に 喧嘩して、帰ってから 会っていない、(まささんも気の毒…とは思う)

 

ずっと、一人で運転だから、孤独だろう、暇だろう、寂しいだろうと

 

電話の機会を増やしたら、私がしんどくなった。

 

私自身の自分の心のコントロールが下手くそな所もあると感じる。

 

まささん:「たいしたものではありませんが、お土産があるので…」とライン。

 

どんな形で会う事になるか。

 

会う機会が、まだしばらくない。

 

私のラインの返事が 「はい」とか、短文しか送っていない。

 

向こうも…必要な事しか送ってこない。

 

さぁどうなるのやら?

 

北海道の長距離勤務が始まった時は、テレビ電話にして 

 

走ってる 動画や、関門海峡の船に乗り込む映像、船から海の映像を

 

もっさんも 一緒に見ながら 楽しんでいたんだけどね~。

 

私の中では…。急に

 

しんどい! めんどくさい!! 別れる!!! って。

 

とりあえず、今回の愚痴は こんな愚痴になってしまいました。

実家を売却することになってから

実家を売却する話が進んでいます。

 

本格的に荷物整理です。

築年数100年近くなるであろう実家は解体予定なので、
私達が必要なものを持ち出した後は、

残留物として、業者の方で処分してくれます。

(まぁ、その分 販売額から引かれるのでしょうけど)

 

なので、荷物整理と言うか、両親の大事なものや

金品となるものを 誰かが必要に応じて 持ち出して、

私が同居していたので、私の私物(子供達の思い出の物)など

を、私の家に運び出すか、次女の物は次女が持ち帰るか?

(もっさんの物は、悩む所だけど、とりあえず持ち帰り)

 

とまぁ

 

この辺りを、さほど急がないからという事と、

私自身 車を所有していてないので

少しずつ自転車で ついでの時に運んでいるという状況。

 

私の狭い家に、少しずつ物が増えていき…。

身軽に来させてもらっていたので、日に日に 現実が押し寄せる(~_~;)

 

まぁ、冷蔵庫はそのお陰で、助かってるし、色々助かっているものはあるけどね。

 

あと、両親のいらないものは、置いたまんまで よいとはいえ…。

あまり、荷物であふれかえっている実家をそのままは嫌なので、

 

ある程度、私の方で処分させてもらっている。

 

例えば、タンスや押し入れの中も、そのままでも良いのだろうけど

他人にゴミとして捨てられるより

私が、最後に確認して、辛い思いもするけど、

服や物に「さよなら」を言いながら捨てている。

 

そして、タンスの中も押し入れも、ある程度 すっきりさせて、

一目瞭然に「いらない」と言う状況にしている。
(そうしないと、兄や姉が何度も見返さないと…という手間もあるのもある)

 

運べないものや、ある程度の物は 置いてるけれどね。

 

今日、タンスの奥から 木箱が二つほど出てきた、

一つには、父の昔の写真が入っていた。

もう一つには、紙はボロボロになっているけど、先祖の家計表みたいなのとか

父の昔の戸籍謄本とか 兄の最初の結婚の時の相手の”釣書”とか。

 

それ以外に、父の車の運転の表彰の賞状が数枚入っていて

”真面目に配達の仕事をしていたな…” とかしみじみ思う。

 

その中に…。ん??

 

私の賞状があった。

 

珠算・簿記・・・

 

あーーー。ここにあったのか。

私は商業高校で簿記を受けていた。そろばんも小学校の時から好きで続けていた。

 

確か、簿記は 3級で そろばんは 準1級止まり(1級は取れず)

 

と思っていた!!

 

なのに、目の前の賞状は

 

簿記 2級  

珠算 1級

・・・・・・  え??

 

私、取れてるやん(・_・;)

 

ずーーーーーっと。

 

珠算の1級は取れずに来たと みんなにも 言っていた。

簿記も3級なので、履歴書には書かずに来た。

(本来書けるけど、書くほどでもないと思っていた)

 

wwwww

 

なんか、笑えて来た。

 

なんで、自分で分からんねん(笑) 自分らしくて笑える。

 

早速、その写真を撮って、次女や、まささんや、友達の松さんに

 

ラインして、自慢した(笑) 自分のどんくささもバレるけど(笑)

 

間違いなく、

 

今更、「そろばん1級です!」と言っても 仕事内容が変わるわけでもないし。

 

「簿記2級取ってます!!」 なんて、取ってたことも忘れてる 私に

 

簿記そのものも もう、理解していない状況で怖くて(就活としては)口に出せない。

 

とりあえず、身内と、こうして ブログで些細な自慢をして、笑おう。

 

しかし、そろばんは 好きだったので

 

小学校6年くらいで2級を取っていたはず。

 

その後、1級の壁が分厚くて 商業高校に入ってからも 何度も受けた記憶はある。

 

ただ、そのまま、取れなかったと

(きっと手持ちの賞状が2級で止まっていたから単純にそう思っていたようだ)

 

でも、取れていた という事は、 高校の時に、取れたはず。

(取得年度を見ると 高3だったらしい)

 

きっと、「やっと受かった~~~(*^▽^*)」と 嬉しかったと思うんだけどな~💦

 

それを忘れて、2級って言い続けるって・・・。

 

若い方々 には、こういうことの無いように・・・って。

 

普通無いか~ (;^ω^)

 

 

大は小を兼ねるですな〜

冷蔵庫が来ました!!

 

gasunukix.hatenablog.com

たかが冷蔵庫。されど冷蔵庫。

 

”冷蔵庫一つだけ” と言えども、自分では運べません。

”ミツモア” と言う、プロの方にお願いしました。

とてもスムーズに運んでくださいました。

いろんな業者の見積もりを見て、比較的安いのがここでした。

 

10900円。(他は、13000円とか。)

日にちや時間で、9000円と言うのもありましたが。

以前お願いしたこともあるので、ここにしました。
若い男性二人来てくれて、軽トラックで、運んで、設置してくれました。

 

安さには こだわりましたが、その分、1000円上乗せして渡しました。
冷蔵庫の大きさが、400lを超えると 3000円プラスとの事でしたが、

うちのを調べると、365lでした。

こっちは ラッキー♡ ですが、向こうは さほど変わらない大きさなのに

残念ですよね。

それでも、二人で来てくれるのだから…。

 

普段は、決められた金額で良いと思う性格ですが、

こういう引っ越しとか、力仕事をお願いした時は やはり飲み物くらいは
用意したいというのもありました。

ただ、作業的には20分程で終わった作業でしたし

飲み物渡されても… とか思ったり。  なので

 

私:「飲み物代にして下さい」と 1000円渡した。 (意外に太っ腹な私です)

すっきりした(*^_^*)

 


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ジャーーーーン!!! 

こんな感じで、今現在 並んでおります。

 

右側の小さいのが 引っ越し時に姉の次男が一人暮らしの時に使っていて、

転職のため、実家(姉の家)に置かれていたので、頂いた。(助かった)

ただ、私は 多少なりとも 自炊をするし、

近くの(昭和感満載の)商店街の八百屋さんで つい買い過ぎてしまう

常に 野菜や食材が 冷蔵庫に入りきれず あふれていた。

冷凍室は、霜で半分使えない状況になっていたし…(落としても戻る)

調味料も、立てられず 横に押し込んでいたり。

 

それが、  なんと言う事でしょう~ ♪♬  (*^▽^*)

 

すっきりです(*^_^*)

あふれていた 野菜や 調味料を 全部入れても あーーーた!!

 

まだ、隙間だらけなんです!!!

 

おでんを作っても 鍋ごと入れられるんですぅ♡

 

次女が帰ってきたら 喜ぶ、アイスクリームも 冷凍室にストックできますよ(^^)/

 

卵も、ちゃんと卵入れに入れることが出来ます。(15個分の穴があるんです)

以前は、卵入れの所まで、しょうがのチューブとかが占領していました。

 

何だか・・・・。

 

幸せを感じます。

 

主婦だな~ と思いますね。

 

この冷蔵庫も、母に買ってもらいました。

 

母「お前が使うんやから、おまえが選べや」と(ちょっと口の悪い母です(笑))

 

母の家でしたが、私が選んで 使わせてもらっていた、冷蔵庫…。

 

やっぱり とーーーーーても 使いやすくて、落ち着きます。

 

購入時

野菜室と、冷凍室の上下が色々あるので、悩む所でしたが、

 

これは、野菜室が真ん中で、一番下が 冷凍室です。

 

私の職場のグループホームは これが反対なんです。

 

それを使っていて、やっぱり、野菜室は真ん中が良いなと思っていました。

 

8年経っているのですが、何とか3年もってくれると嬉しいです。

 

運んだ後、数時間して電源を入れると、それはそれは

よく冷えだしてくれました。

 

冷蔵庫さん、大事に使うので よろしくお願いいたします(ペコリ)

 

小さい冷蔵庫は、タイミングを見て、処分になると思います。

 

 

 

 

 

 

母の遺影の前で、二人パニック?ただの親子喧嘩?母の仲裁??

母が亡くなってから、不思議な事が色々あった。

(そして今回も)


娘に対する思いと言うもので、こうも魂は動くのか…。


私は、基本 目に見えない事は信じるというタイプではなかった。

信じる信じないというか…。それほど深く考えないというか…。

「あるんだったら、あるんだろうし、無いんだったらないんだろうし…。」と。

なので、単純に今までの人生で、”おばけ”と言うものを見て怖い思いをしたこともないし
神様にお願いしてそれが叶ったという実感もないし。

なので、周りの話を聞いた場合に やっぱり こうなる。

「あるんだったら、あるんだろうし、無いんだったらないんだろうし…。」と。

 

でも、

何かと、ご先祖さん…なのか? 何なのか?

私って 守られてきてるのかな?? と言う思いは、時折していたのは確か。

それは…。

私の兄にあたる存在の男児が、私が生まれる前に5歳で亡くなっている。
(母の長男である)

その後で、私が生まれているので、お墓参りや、お仏壇に手を合わせる時、

私の知らない、私の兄である、5歳の男児の写真を見て、

何だか不思議な気がしていたし。

何かと、自分の想いが形になったり、

人とのご縁に恵まれていると感じる時…。

自分だけの事ではないだろうと、それは常に思ってきた。

 

両親の愛情が、私に注がれていたのは確かにある。

(亡くさないようにと、慎重に育てて来られた感はある)

 

父が亡くなった時は、母がついていたのと、それなりの年だったので

悲しみは引くことはなかった(父よごめんなさい)

その後、母の想いを受け止めながら、母の介護にも関わり、一緒に歩んできた。

そして、母の死を前に色々不思議な事があった。

そして、それは、
49日とか、母の魂が残っている間だから だろうと思っていたし、
こうなったら、お位牌に魂を入れるとか…。
そんな事も、信じがたいが、あるんだろうと。

でも、そうなれば、お位牌が、私が母と住んでいた実家から
兄の家に連れて行かれてしまってからは、なくなるんだろうと思った。

 

さすがに、偶然が重なったとしても、続くわけはないし。 

と思っていたが…。

 

兄が自宅に運ばなかった、慰霊の写真を実家に置いたままになっていたので
その前で、私は色々話をした。

そんな日が、49日の後、2回。

その2回とも、不思議な事があった。

母は…。
今でも、私を見ているし、心配してくれているし、
力ある限り 何かを起こしてくれている。

そう感じた。

でも、さすがに

私も、偶然も何もかもを ”不思議な力” として考えすぎてるかも。

と言う思いもあります。

 

ただ!!!!

 

また、あったのです。

 

不思議と思わざる出来事が。

 

この日、私ともっさんは実家に行きました。

 

理由は 雛人形(おひな様)を出すので、もっさんにも最後に見てもらいたかったし、
手伝って欲しいというと、喜んでくれたので。

 

もちろん おひな様の時期では無いのですが。

 

悲しい事に、このおひな様の嫁ぎ先がありません💦
母が、私に娘が二人いてるので、奮発して買ってくれたおひな様です。

 

もっさんが5歳の時に、2階建ての一戸建てを新築し家族4人で引っ越しました。
その時に、買ってくれたのです。

 

離婚して、実家へ来る時に、持って来てから、実家に置いていました。

2回飾って、母にも見てもらっていました。

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私の現在の家には置く場所がありません。

片づけた状態でも、土台の箱や、小物の箱でも押入れを埋め尽くします。

 

そして、今の時代、個人でも、施設でも必要な人はまず居ません。

 

悲しいかな…。処分。(まぁ、人形は奉納だと思いますが)

 

その為、両親の遺影の前で最後に出して写真を撮りたかったのです。

 

(このまま、もっさんと私の 詳細を話し出すと、長くなりますが…)

 

実家につくまでは良かったのですが、

 

もっさんのこだわりやストレス。それに伴って、私のストレスもあり。

 

実家の遺影の前で、もっさんがパニックになりました。

 

私は、母の遺影に甘えたのでしょうか?

 

腹が立ったのと、母が居なくて…。母ならこういう時、どう慰めてくれるかとか。

いや、もっさんのこんな姿は、母に見せないようにしてきたのに、

この姿を見て、どう思うだろう。様々な想いがよぎりました。

 

そのうち、もっさんは、エスカレートして、苦しそうにのたうち回った。

 

私:「この子…生きてても…苦しむだけだし…意味あるの?」なんて

 

悪い事がよぎり、両親に泣きながら 「連れて行ってよ!!」なんて感じで

暴言を吐きだした。(悪い親)

 

でも、これではいけないと…。

 

SOSを出さないと。

(電話で誰かの声を聞くだけでも少し冷静になった経験があるので)

 

パートナーのまささんに電話をした。
(話しをしてくれて、少し落ち着いて少しキョトンとした)

 

でも、また始まった。(まささんは運行中なので、切った)

姉に電話をした。(姉ならもっさんも話しやすいだろうから)

普段電話がつながらない姉がすぐにつながり、

 

姉:「車で近くを走っているから15分くらいで行くわ」と。ありがたい…。

 

来てくれた。

 

もっさん、暴れて。涙目でひどい事になっている。

それを、抱えて、私もぐったり。

 

姉が来てくれて、二人とも冷静を取り戻し、もっさんも

 

ケロッとし始めた。(なんか…身体がだるいんだけど…みたいな。)

私的には、人格が変わって元に戻ると、覚えてない可能性もあると感じている

 

その後、少し姉の車でドライブして家まで送ってもらった。

ここで!!!

やっと、不思議な事の発表です。

 

姉なんですが。

 

普段連絡がつかない姉と 直ぐに連絡がついただけでもびっくりでしたが。

 

なんと!!

 

車で一人で運転して、富山県まで行っていたそうなんです。(仕事で)

しかも3日前から。

3日間行っていて、その帰り道、あと、5分で自宅に着くという状況の時に

私からのSOSをキャッチしたとの事。

姉の家から実家は10分程。

そのまま、家に帰らず駆けつけてくれたそうです。

こじつけ だと言われればそれまでですが…。

 

遺影の母が…。

 

頼もしい顔の母。(93歳で亡くなった母の遺影は58歳(笑))

何もできないはずの母の写真の存在感…。

 

何かの力で。出来る限りの力を振り絞って…姉を動かし

私ともっさんを助けてくれたとしか、思えず。

 

涙がまたあふれてくるんです。

 

はーーーーー

 

しかし、いつまで私は こんなヨワヨワなのでしょう。

 

母よ、ごめんよ。 もっさん、ごめんよ。 

 

しかし、振り返ると、あれは、ただの 親子喧嘩のようにも感じる。

その時は生死がかかってる状態だったんだけどな・・・

やっぱり、考えすぎなんだろうか?(断末魔の様な叫びをするんですよ💦)

 

まぁ。こんな お母ちゃんですが これからも宜しくね。

実家で使用していた冷蔵庫が我が家にやってくる。

①実家で使用していた冷蔵庫(3ドア300L)を我が家に運びます(業者依頼済)

私が2年前に実家を出て、今の家に引っ越しした時
もっさんは週末に帰ってくるだけだし
ほぼ一人暮らし状態の我が家だと思っていたので、
甥っ子が使っていた2ドアの小型サイズの冷蔵庫を
譲ってもらって使用していました。

新しい冷蔵庫を購入しないですんだので、とても助かっていましたが…。

買物好きな私は、ついつい、野菜も買い過ぎるし、

(今日もキャベツ丸太と大根1本買いました。もちろん野菜室はありません)
お肉類も安いと思ったら多めに買っちゃうし
作り過ぎて冷蔵庫に入れたいものもたくさんあるし。

いつもいつも…。
パズルのように入れる所を詰めて詰めて…。
そして、出す時は、余計なものを出して奥から引っ張り出すような感じ。

その上 問題は、冷凍室。
そもそも、入れる所が狭い冷凍室に、ついつい、冷凍ものを買ってしまうし
買い過ぎたお肉類は小分けにして冷凍したいし。

なんとか入れられると思っていたら、
霜が降りてきて、中の引き出しが開けれなくなり…。と

問題多発。

 

実家の冷蔵庫は我が家には大きすぎると思っていましたが
まだよく冷えてたし、8年前の品物。(まだ3年はいける)
思い切って、運んで使用することにしました。

移動するには業者にお願いするために、アプリの

 

”ミツモア”を利用しました。

こちらから今回の要望を入れると、5人の 業者(アプリ内ではプロと言う)
の方から連絡が入り、金額の提示があるのでそれを含めて 決定して、
その後は、アプリ内で プロの方とのやり取りをして、当日を迎えるという感じ。

 

やり取りには、写真も送れるので色んな詳細を伝える事が出来て安心。

 

そのやり取りは、アプリ内で全部保存されるので、お互いに返りが出来る。

以前にも利用したことがあり、結構気に入っている。

 

最初知ったのは、次女が、引っ越しの時、自分で設置できると思っていた
新しい冷蔵庫が思いのほか大きくて、動かせなくて、

急きょお願いしたことで知った。

 

大学卒業してすぐの一人暮らしの女性と言うのに、

そんな知らないアプリで、夜に男性プロに来てもらうというのを聞いて

不信感があったけれど・・・。

まぁ、その後何もなかったし(笑)

私も使用してみて、それなりに納得。

(ただ、やはり、次女の行動はちょっと今でもどうかと思うけど…。)

 

なにはともあれ・・・。

 

今日から 大きい冷蔵庫を使う事が出来るのは嬉しい。

 

そして、この冷蔵庫は母との生活が始まった時に

買い換えてくれて、私に選ばせてくれた。
「最初は大きいと思ったけど、これにしてよかったね~」と

二人で何度も何度も笑顔で話したな・・・。

(思い出してしまうな)

だんだん食べれる量が減って…。

私が別居し始めて…。

 

冷蔵庫の中身が少なくなり、母が食べるものだけが、
寂しく、入っていた…。

 

力自慢だった母の腕の力、手の力、指の力が弱り、しびれたりで

 

よく、牛乳を倒していたな…。

 

色んなものが、中に転がっていた…。

 

食べると言って買っても、全然食べなかったり、

 

私がよく小言を言っていたな…。

 

冷蔵庫が我が家に来ることで、そんな事も思い出しちゃうのかな。

 

まぁ、直ぐに忘れるくらい、てんこ盛りに 自分仕様になるだろうね。

 

 

自分の気持ちのいら立ちを、書いてみた。

重度知的障害のある娘 

もっさんは、いろいろ大変な面もまだまだあるけれど。

先日、みかん狩りに行くことが出来て、私は嬉しく思っています。


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もっさんの目的は、この山の中腹にある小屋の食堂の”きつねうどん”を食べる事

何度か、この場所には来ていて、山登りはしんどがるし、

目の前にみかんがあっても、座り込む事も多かったもっさんだけど

うどんは食べたい!という思いから、何とか行くことが出来た。

 

しかし、案の定、ここに行くまでに 勾配のキツイ登り路に値を上げて

座り込むもっさん。(その横を幼稚園児が楽しく歩いて行くような道なんだけど…)


もっさんは、グループホームを利用しています。

火曜日から土曜日で、土曜日の朝に迎えに行ったり
土曜日に作業所があれば夕方に迎えに行ったりして自宅に戻ります。

そして、土曜日・日曜日・月曜日(作業所休み)自宅で過ごして
火曜日の朝に、作業所に送って行き、もっさんにとっての一週間が始まります。

ホームを利用し始めた時は、もっさん自身も私も精神的にしんどくて
とりあえず、離れないと‥‥と。

入れる所を私が探し回っていた感じです。

空きがあって、本人の見学や体験をした時、
もっさんは 先の事をどこまで理解していたのでしょう。

5人の入居者との共同生活。

 

女性は何かと難しいと言われます。

でも、最初は、大きなトラブルもなく。

しかし、もっさんは、2年目くらいに自宅で大きなパニックや発作を起こすようになり

私は母の介護もあり お互いに崩壊しそうになり、
引越しをして、もっさんはホームを利用しながら 

帰宅時は自宅で落ち着ける環境を整えた。(それが二人の為だと信じて)

その後、母は姉の協力もあったが、一人暮らしが難しくなり施設にはいり

4か月後に旅立ってしまった。

私は…。

いろいろと、今現在 自由を手にしたという現実。

 

もっさんがホームに行ってる間の夜は 誰に文句を言われることが無い生活。

でも なぜか・・・。

いまだに、まだ変な感じがしている。

 

比較的真面目な性格上、夜と言っても、そんなに出歩くこともなく
ビールは好きだけど、飲み遊ぶような友達もいないし…。

 

パートナーはいてるけれど、お酒は飲めないし、仕事の都合上
会う時間もほとんどなく。

 

唯一 次女と待ち合わせをして、お店で夕食を食べたり、

昨日は、次女夫婦の仕事終わりに 自宅に行って、
おかずを持って行ったり、作ってあげたり。

二人には気を使わずに一緒に食べて、話しをして 楽しんだ、うん楽しかった。

でも、あまり、夜遅くなって、帰り道に 何かあって
周りに迷惑かけても・・・という思いがよぎったりして。


そんなに遅くにならないように…。
10時過ぎには家に向かい、11時を超えると
ドキドキする。
自宅周辺は結構繁華街なので、明るいのだけど、若い人ばかりになり、
何かあったら(何か、というのは、盗みとか事件に巻き込まれるとか)

この歳(おばちゃんが)で、そんな遅くまで‥‥。と
母が居なくとも、母に怒られそうだし…。

いま、こうして、時間があるから 
ブログを書いていたら

電話がかかってきた。

もっさんのホームの責任者から (-_-;)

 

作業所へ行く、バスに乗れなかったとの事。

 

夜も、物音で起きて、周りに迷惑がかかっているらしい・・・。

 

はーーーーー。

 

私自身が自由になる時間が取れた とて・・・。

 

いろいろ 悩むし、複雑な想いは無くならない。

だからと言って、もっさんを 家に帰らせて、私が仕事に行けなくなると

 

話しは違ってくるし。

 

別の人生を考えていくべきだとは思う。

 

だからと言って、もっさんを家に帰らせずに、完全に入所生活と言うのも

 

違うと思うし…。

 

はーーーーー。

 

とりあえず、

 

もっさんは、作業所に行けずにホームに一人残ってる状況なので

お昼ご飯の対応を、私が行くことになった。

 

良いのか?悪いのか??

 

でも、事務所の人も、急には迷惑になるし。

 

迷惑だと思いながら、対応されるのは もっさんにとってもよくないし。

 

行って、もっさんの精神所帯が悪くても

 

私は夜勤の仕事があるので、連れては帰れない。

 

いろんな想いに、心が痛む。

 

理想的な良い方法なんて無い。

 

みんな、落としどころを探して、我慢する。環境に合わせる。しかない。

 

→ この後。

もっさんから ラインが来た、鬼ライン。

取り留めのない内容から、いろいろ。

 

私が電話しても 電話には出ない。

 

出たくない と言う内容のラインも来る。

 

かと思えば、明日は仕事楽しみ。とか。

 

なんかめちゃくちゃ。

 

振り回される。

 

作業所にか行かない(行けない)からと言って、普通に私がお弁当を持って行くのもどうかと思うし。

 

買物へ行こうとラインすると、すごい拒否の内容が来た。

 

お昼ご飯はいらない、食べないと何度も来た。

 

私:(じゃ、食べるな!!) 怒りが込み上げる。

 

後先考えられずに、人に迷惑だけかけて生きていくのか・・・・

 

なんて、先走って色々腹が立ってくる。

 

まぁ、結局

 

こっちも用事でバタバタしてる間に やり取りの結果

 

お腹が空いたのだろう、電話を取った。

 

私も怒りを抑えて、優しく接し、お弁当を持参して、食べた。

 

もっさん:「おいしい、ありがとう」と言う。

 

私は、何をあんなに怒っていたのだろうとも思ったりすりが。

 

はーーーーーー。

 

複雑。

 

色々複雑。

 

とりあえず、仕事にもいかないといけないので、この辺で。

実家の売却に向けて

母が愛した古い実家は、売却することになりました。

私を妊娠した状態で越してきた、長屋の戸建て。
そこで私は生まれました。
通りから一筋入り、昭和の雰囲気漂うご近所付き合い。
毎日のように主婦の井戸端会議があり、
豆腐屋さん八百屋さんが自転車リヤカーできていました。

私は年下の近所の子供達を集めて
”かごめかごめ” をしたり、近くの公園へ行って駄菓子屋さんへ行ったり。

懐かしい限りです。

その頃に比べると、我が家以外の数件を残して、ほとんどの家は建て替えているし
近くの長屋の一角は バブル時期に 地上げ屋に入られ、高層ビルになったり
スーパーになったり。

ただ、母と(父も少し)近所の方々が、頑張って、我が家周辺は 

売らずに残る事が出来た。(自分たちで土地を買い取ったから)

 

井戸端会議の中心になっていた主婦たちは・・・
93歳で今年亡くなった母が最後でしたね。
最近まで100歳超えて施設に居てたけど亡くなった人や
他の人も…。施設や、子供所に行ったりでしたが、亡くなりました。
井戸端開示の時に”若いお母さん”達は、良いお婆ちゃんにになっていますが。
現在80歳前後。
まだ元気です。
その方たちは、土地を購入したタイミングで家を建て替えて、住んでいます。

ただ、実家は…。
戦前に建てられた長屋です。
父母が4世帯目くらいかな?
老体ムチ打ち・・・頑張って耐えてきてくれました。(家の事です)
良い家でした。
見た目では「まだ住めるよ」と言ってくれる人も居てますが。
まだと言われても、このままでは不安です。


過去に数回シロアリも発生していたことがありました。

 

母は、新築を建てるのが夢でした。

建替えないにしても、私に住んで欲しいというのもありました。

ただ、私には兄がいて姉がいて、私の自由に出来るわけではないし
私には責任が重かったのです。

先月姉が、家に困ってる知人に少しの期間貸したいと言って、
兄弟間に少し微妙な雰囲気が流れました。
結局1カ月ほど貸して、出ていかれましたが、

(実はまだ、荷物が置かれている状態)

 

姉は、のんきに考えますが、私と兄は、慎重になります。
少しの期間でも他人が入って住むという事がどういうことか?
どういうトラブルを起こす可能性があるか??

 

とは言え。空き家のまま、だらだら置いておくのは、それはそれで
よくなくて。

 

姉は姉で、何かに使えないだろうかと、色々考えていた。

しかし!!

何をするにも、それなりのお金を掛けないと、進まない。

お金をかけた所で、誰かがそこに住むとか・・・
仕事にして収益を得るとか。難しい。

 

ただ、あまりにも、住むには便利が良い場所なので、置いておきたい

という気持ちもみんなの中にはあった。


しかし、それがトラブルを起こすようなら、お金に変えてすっきりするべきだろう。

母も、そう言っていたし、そうするべきだと、兄が動いた。

 

兄が動くと、早い。

 

兄は会社の社長をしていて、その影響?いや、性格も大きいけど

「悩んでいる時間は無駄」と思っている。

「どうする?と聞いたかと思うと、直ぐに行動」という感じ。

 

まぁ、姉に任せるよりは安心。

 

地元の同級生に不動産関係者が居てるとの事で、依頼。

(姉は…。工務店の三男坊に嫁いでいて、旦那さんは建築1級を持っていて、甥っ子が工務店を継いでるとかなんだけど…。そっちに頼まずに…。)

まぁ、姉が関わるより 兄が窓口になってくれた方が 安心だし、長男だしね。

 

で、話は進みだしたんだけど。

 

実家は、道路に面している土地・・・のはずだったんだけど。

なんと!!

土地区画地図を取り寄せて見てみると。

我が家の玄関先のほんの少しの 土地が…。
隣と、その隣が侵入してきていることが分かった。

 

それが、横長で、

なんと!!

我が家は、”道路に面していない” という事になり、そのほんの少しの面積の為に
2軒の大家さんに売却や工事の了解を得ないといけないという。

 

なんと・・・。恐ろしい事だ。

 

だいたい、一坪100万以上では値が付くかもと言う事なんだけで。

その部分の土地を今からでも、購入という事になるんだろうか??

とは言え、その値段で譲ってくれるのだろうか?

 

というのも、隣は昔から良い付き合いをしている方なので、特に問題ないだろうけど
その隣は、100歳越えのお母さんが亡くなって、一人息子さんが
最近 家を売却して、今、建て替え工事をしている所。

(不動産が関わっているので、こんなおいしい話…。うちの土地全体も出来たら買い取りたいと思われるだろう)

なんてことが勃発している。

まぁ、それも含めて、兄に任せよう。

 

私は、とりあえず 荷物の整理に行ったり来たり。

ほとんど物はないんだけど、

最終的に、私がどの程度持って帰るか??

 

私も次女も家が狭いので、子供たちの思い出の品々とか・・・

 

どうしようかな~

アイロン台もどうしようかな~と細かい事が出てくる。