物を減らさないと・・・、減らしたい・・・、減らせるはず!!
と、いらないものを探し始めると、いつも娘たちのものから手を付けてしまう。
次女は家を出ているのに普通にその辺に物があるから、今度来た時に聞いてから捨てようとまとめて。
もっさんのは基本私が判断すればいいんだけど、私がゴミだと判断しても、もっさんにとっては宝物かもしれない…。なんて思うと、心が痛むので、とりあえず、要らないであろう物をこれも、チョイスしておく。
で、いつも懐かしい昔のを引っ張り出すと、写真に目がいく。
このスイカともっさんの写真はおもしろい。
スイカ好きのおばあがいつも夏になれば、わざわざ卸とかで買って、うちの家まで電車で持ってくると言うバイタリティの持ち主。
奈良に引っ越ししてからも2回ほど持ってきたのでびっくりした。
2回目にしんどくなったそうでそれから持ってこなくなった。
4Ⅼあるんじゃないかな? それに興味を示すもっさん かわいかったな~(親ばか)
2歳くらいかな。昭和な感じが出てますね~ カメラ目線の写真が難しい子だった。
まだ、そんなに言葉がなかったな~。でも、笑顔はこの頃から満面で。
笑顔の写真を見ると、かわいかったな~と同時に、この笑顔をもっと守ってやれなかったのかと言う後悔が・・・。
よく怒っていた。
なんで?なんで?なんで出来ないの?出来ない、出来ない、出来ない、出来ない。
と言われ続けてたんだろうな~と思うと、そら心も不安定になるよね。
もちろん、その時は出来ることを伸ばして、褒めて、実際出来ると感動して、涙して喜んでいたんだけど。
写真には残らない、もっさんの泣き叫ぶ顔が目に浮かんでくるんだよね。
と、どうしてこんな感情になっているかと言うと
以前に話していた、もっさんの障害福祉サービス継続の区分認定の為の”医師意見書”を書いてもらうために、もっさんの経歴や詳しい事をまとめて欲しいと言われ、
母子手帳や、色んな書類を出してきました。
※いつのまにかミニマリストは中断になりました。
思い切って、一冊のノートに書いていこうとなった。
(こう言う事をしだすと要領悪いので時間がかかるんだけど、仕方がない)
書いていると、もっさんって・・・
笑顔が多くて明るかったんだけど、2歳でやっと歩き出し、4歳で片言の言葉を使うようになり、5歳で自分で服をやっと自分で脱ぐようになり、食事もスプーンをやっと使うようになった。(お箸はまだまだ先)
階段を降りる時に交互に足を出せるようになったのは6歳頃かな。
その頃は小学校入学なので、私も本人も何かと大変なんだよね~。
みんな普通にランドセル背負って、楽しく話しながら通学してるしね。
勉強とか言うレベルじゃないんだけど、親は学校に入ったら、早く字を覚えて、早く皆と同じダンスしないと運動会がどうなるの~なんてね。
私自身は世間体とかは気にせず障害はしっかり受け止めていたのだけど、本人の特性と言うのが理解できず、目の前の事には情けない母親だったな~。
ありがたい事に、もっさんの障害に対して批判する身内は誰一人居てなくて。
私自身は恵まれた環境にいてたんだな。と今になって思う。
それなのに…。もっさんの環境はどうだったのだろう(-ω-)
とりあえず、ノートを書いて、書類を仕上げていこう。
多分捨てることになるので、これも記録用にアップ。
こわって思うけど、みんな通るよね。版画。
本人は作れないから、先生の力作と言ったところです(^^;)
※確か、中学生の美術の先生してた女性が支援級の担任だった時の作品だと思う(^^)
幼少期の写真 これまでなら、いけるかな。
今の状況とは違い過ぎてるし('◇')ゞ
この頃は既にカメラをじっと見ることが出来なかったのに、奇跡の写真という感じでした。
本人もよっぽど嬉しかったのでしょうけど。
スタジオアリスさすがプロです。
この写真、親はいまだに喜んでるのですが、もっさんも次女もさほど興味なしです。
なので、載せます。
いまさら誰にも見せないし。
今日は色々忙しかった。
最後にブログで心をこうしてまとめて、落ち着かせて。
また明日。
明日は次女と出かけます~
次女にもっさんの話をすると、負担になるので。私の話はこうしてブログで出して、明日は次女のてんこ盛りの愚痴を聞く側に徹してきます。
次女は次女で難しい子なので~💦
秋晴れの天気はとても素敵ですが、朝晩冷えますね。
体調崩さないように気をつけましょうね~
では、またごきげんよう。